2017年3月31日金曜日

ありがとう、ミスターブラックラムズ・滝澤佳之選手(タッキー)

ついに、その日が来てしまいました。
今季限りで、ミスターブラックラムズ・滝澤選手がチームを去ります。

リコーと聞けば、真っ先に滝澤選手の顔が思い浮かぶファンの方も多いことでしょう。
明治の重戦車FWのDNAを感じさせる迫力の突進や中心選手としてチームを引っ張る姿、トップリーグ初期では奇抜なヘアスタイルが話題になったこともありましたね。

以前、自分は滝澤選手についてブログに書いたことがあったのですが、自分にとってチームを追いかけて日本各地を転戦した2009シーズン以降は、滝澤選手と共に戦い続けたシーズンだという思いが強くあります。

結果だけを見れば、滝澤選手の在籍時のリコーは、チームとして苦しみ抜いた時期と重なります。
ブレイクスルーとなりそうなシーズンがあったとしても、翌年には入替戦に回ったり、三歩進んで二歩下がる、ならまだしも、二歩進んだのに三歩下がってしまうような繰り返し。
そして2007-08シーズンには悪夢のトップイースト降格も経験しています。
また2013-14シーズンに、リコー生え抜きの選手としては河野選手に次ぐ二人目となるトップリーグ100試合出場を達成した節目の試合(近鉄戦)もゲームとしては敗戦し、試合後のセレモニーも複雑そうな表情で受けていたことが思い出されます。

そんな中、誰よりもチームの勝利を渇望していたのも滝澤選手でした。もう今は見れなくなってしまっているようなのですが、2016年度のプロフィールの「一番嬉しかった試合」として彼が挙げていたのは、リコーが優勝した「ジャパンセブンズ」でした。この項目に自分が出ていない試合を選んでいたのは、おそらく全選手の中で彼ひとりだったと思います。

とても自分に厳しい選手だったと思います。
主将として臨んだシーズンでは、例えチームとしていいところがあった惜しい試合であっても、敗戦後のコメントではチームに対する厳しい言葉ばかりが並び、「もう少しポジティブな面に目を向けても……」なんて思ってしまうこともありました。
それは、滝澤選手視点からではチームはもっと出来る!という期待の表れでもありつつ、なかなか一皮剥けきれないチームへの苛立ちでもあったのかもしれません。

でも、そんな記者会見の冒頭には、必ず観戦に来たファンへの感謝の言葉を忘れない。そんな一面もまた、滝澤選手らしさでありました。
数年前、初めて選手と応援団が一同に会して決起集会を開いたことがあったのですが、そのときに「こういう機会を作ってもらえて嬉しいっス」と一番喜んでくれたのも彼でした。
そしてへべれけに酔いながらも、「こいつ最近頑張ってるんですよ」「これからチームを引っ張っていくのはコイツですよ」と若手選手をかわるがわる紹介してくれたのも、今となっては懐かしい思い出です。

前回のエントリーで書いた選手納会で、滝澤選手が最後に発したのは、同じフッカーのポジションを争ったチームの後輩一人ひとりに向けたメッセージでした。詳しい内容は心の中に留めておくこととしますが、彼らをただ後輩としてではなく、いちチームメイトとして認め、またライバルとしてのリスペクトから発せられるその言葉に、自分は深く感銘を受けました。

これから彼の指導を受ける明治大学の学生たちに言わせてください。タッキーは見た目は怖いかもしれないし、言葉や態度は厳しいかもしれません。でも、君のことを誰よりもしっかり見てくれているはずだと。そしてタッキーにも一言。ぜひ「滝澤二世」と呼ばれるような選手を育ててください!!

引退にあたり、HPに掲載された文章には「数少ない滝澤推しの方々」なんて書かれていましたが、何言ってるんですか! リコーファンは誰もが「滝澤推し」かつ「○○推し」の兼任でしたよ! そんなチームの支柱であったタッキーが抜けたということを、今はまだ選手もファンも現実として受け止めきれていない気もします。おそらくシーズンが始まり、そこにタッキーの姿がないときに初めて、その大きな喪失感(滝ロス)を感じるのでしょう。

でも、やるんだよ! 誰かがチームの中でタッキーの果たしていた大きな役割を背負っていかなければなりません。そして、タッキーが願うリコーが頂点に立つ日を実現させなければなりません。

でも、でも、最後に一言だけ……。僕はタッキーのいるブラックラムズでその日を迎えたかったです。

本当にお疲れさまでした。ありがとうタッキー!!

0 件のコメント:

コメントを投稿